なぜ【カリスマ】は時に儚く短命なのか/現代社会の構造と欅坂46平手友梨奈

はじめに断っておくと、筆者は欅坂46に明るくない。

それでも、彼女たちのパフォーマンスをTVで観たり、LIVE映像のCMや彼女たちの曲を聴いたときに、この人たちはちょっと他のアイドルたちと違う(差異がある)のかな。と何度か思わされた。

そして、ときに、こちらに狂気という言葉を連想させるようなセンターの平手友梨奈は観ている人の心の奥の何かを揺さぶることのできる(何かを持っている)数少ない人なんだろうと幾度か思う場面があった。

少し陳腐な(手垢まみれの)言葉だが、ここではそれを”カリスマ”と呼ぶことにする。

本記事は、なぜカリスマが時に、儚く短命なのかについて現代社会の構造とともにみてきたい。

平手さんをどこかの記事では、尾崎豊さんと比較していたが、僕が一連の流れを真っ先に思い出したのは、スウェーデン出身の音楽プロデューサーAviciiだ。(単なる年代の違いの問題なのかもしれないが)

彼もカリスマと呼ぶにふさわしい人物であった。

センセーショナルな音楽を生産し瞬く間にトップスターとなったAviciiだが、彼もまた文字通り短命だった。

なぜ、彼らが短命なのかは幾分いまの現代社会の環境が関連していると筆者は考える。

つくられた虚像(イメージ)が実像を追い越していく

一つに、カリスマと呼ばれるような人たちが背負うものは尋常では考えられないし想像もつかない。人々が作り出したイメージが自分自身のキャパシティーをあまりにオーバーしたときに、人は苦痛に近いものを感じると思う。

時にカリスマは淡く儚い(花火のように一瞬で散る)一つの要因であろう。

そして、現代社会は技術の発展によって、いままで(過去と比べて)も圧倒的に人の目に触れる機会が増えている。それは、いままで過去に人間が体験したことのない領域に入っていると言える。

およそ160年前までの(江戸時代)の生活では、農業をして生計を立てている人の暮らしをしていたら人生で出会う人の数は1,000人に満たないかもしれない。

しかし、現代ではSNSであっという間に人がおよそ経験したことのない人数に拡散される。

そうして出来上がったイメージ(一人一人が作り出したもの)は、もう人ではとうてい手に追いきれない虚像になっているはずだ。

この出来上がった虚像が本人とあまり乖離(かけ離れている)していると苦痛に近いものを感じる人もいるだろう(カリスマと呼ばれる人は繊細な人物が多いのも特徴的だ)。

アメリカのまだ二十代にもならない有名女性シンガーが「今となっては、私自身について気さくに話せるのは、精神科医だけだ。」と言う 。

その一方で、長くカリスマ(そのような能力を持った)人物も確かに存在する。彼らはどこかでうまく折り合い(バランスを取っている)をつけているのであろう。

逃げ道のような自分を安定させるスポット(ポケットのようなもの)をおそらく一つは持っていると想像する。

今回の平手さんは、グループで活動しているというところも特異な点であろう。

(ここで、欅坂46に明るくない筆者がどうこういうのは、場違いであるのでこの点を指摘するにとどめておく。)

以上が、なぜ【カリスマ】は時に儚く短命なのか/現代社会の構造と欅坂46平手友梨奈についてでした。

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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