今回は、今年最初のインプットとして筆者が選んだおすすめ本であるネルソン・グットマン著『芸術の言語』(慶応義塾大学出版会,2017年)についての感想とおすすめな理由と2つ内容について紹介する。
筆者が今年のインプット本として選んだネルソン・グッドマン『芸術の言語』(慶応義塾大学出版会,2017年)は、たいへん面白かった(興味深かい内容だった)。
ここでは、『芸術の言語』の簡単な紹介と感想を以下にみていきたい。
記号と記号システムからみる芸術
まず、ネルソン・グッドマンについて簡単に紹介すると、20世紀のアメリカを代表する哲学者であり、美学、論理学、認識論、科学哲学の分野において多大な影響を及ぼした人物である。
今回紹介する著書である『芸術の言語』は、主に記号と記号システムから芸術について読み解いていく(従来のある種常套句として存在している”芸術”は高貴なものであるといった考え方や、”美術にはとても優れた側面”を持ちうるといった考え方とは一線を画した異なる考え方である)
それは、記号と記号システムから淡々とそれぞれの芸術(著書の中では、絵画、音楽、ダンス、文学、建築etc…といった様々な芸術に言及されている。)を捉えて再解釈している。
記号と記号システムから射程して芸術を解釈する(読み直す)ことで、ネルソン・グットマンがいう「誤った常套句と哀調を帯びた陳腐な言い回しが曲がり通ってきたが、いまやそれらが地に足のついた実験と控えめな仮説に取って代わられる時が来ている」
一つか二つ著書で紹介されているものを取り上げる。
その①:『絵画』に贋作があるのに対して、『音楽』には贋作がない。
『絵画』には贋作が存在するのに、『音楽』に贋作が存在しないのはなぜなのか。(厳密にいうと「なになにの演奏である」といった音楽の贋作はありうるとしている)
こういった素朴な疑問に対して、記号と記号システムから『芸術の言語』の中では読み解かれている。
一般に『絵画』の芸術領域で贋作が存在するのは知られているであろう。
『絵画』の贋作の中にも、ある作品ゴッホの「ひまわり」の作品を真似た(再現もしくは模倣した)贋作と、例えば、バンクシーが描いたのではないかとされるような(東京都の防潮扉に描かれたネズミ)はバンクシーが描いた本物かどうかといった作りての新作の贋作もある。
著書で紹介されている贋作の例としてはファン・メーレンの贋作がフェルメールの作品と取り違えられていたことは有名である。(ファン・メーレンが自分でフェルメールの作品でないことを言及しなければ、フェルメールの作品ではないと証明されるまでもっと時間がかかったであろう。もしくは今日までフェルメールの作品になっていたかもしれない。)
では、『音楽』に贋作がないのはなぜなのだろうか。
その一つに楽譜の持つ記譜法(ノーテーション)が関わってくるのだが、詳しくは、著書をあたって見てほしい。とてもおもしろい見解である。
その②:隠喩とは何か。
しばしば、人は隠喩をつかうことで、ある事象を分かりやすく解釈(腑に落ちたり、こんなことを言っていたのかと納得させられたり)できるときがある。
ミーコ(6)
そうですね。隠喩は、ときにある種で用いられている文法を逸脱して他の文法(慣習的に働く力が残っていて)用いたときに、組み合わせと組み合わせ次第で時に、斬新で魅力的にうつるときがある。
そして、隠喩は純粋な多義語ではない。
隠喩の場合は、先にあげたように、習慣によって確立した外延を持つ語が、その習慣の影響のもとで別の外延に提要されるのである。
そこには先例からの逸脱とそれへの敬意の両方があるとされる。(一種の緊張関係のようなもの)
そしてたいてい最初斬新と見られていた隠喩も時間が経つに連れ、薄れていく(定説かされるないし、手あかにまみれていく過程を経て)隠喩は、グッドマンは、凍り付いて固まる。もしくは蒸発して消え失せる。
人は、言語を用いるため、この隠喩の魅力は古くから知られている。(グレゴリー・ベイトソンのいうアブダクションの考えに近いと筆者は感じた。)
以上、簡単ではあるがネルソン・グッドマン『芸術の言語』(慶応義塾大学出版会,2017年)についての感想と紹介とさせていただく。
大学生レベルであれば問題なく読めると思う。
もし気になった方は、ぜひ一度手に取ってみることをおすすめする。日本語訳されて、日本語しか分からなくても歴史的名著が読めるようになったのは純粋にありがたい。(笑)
芸術やデザインに関わる人であれば(社会人の方でも参考になる部分は多々あると思う)、一度は読んでおきたい本である。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。