今回はネットリテラシーについての記事になります。
今回は、ネットリテラシーとありますが、ネットリテラシーとは何かについてから現実にも拡張して情報をどう扱うかのスタンスについてみていきたいと思います。
またネットリテラシーを高める(鍛える)2つの方法についてもみていきます。
ミーコ(6)
ミーコのいうように、世の中には情報が溢れています。その中で情報の取捨選択と、その情報をどう使う(応用する)かの重要性が高いことはあらためてここで指摘するまでもありません。
まずそもそもネットリテラシーとは何かについてみていきましょう。
ネットリテラシーとは、インターネットリテラシーの略であり、リテラシー(literacy)は元来読み書きの能力ことを指し、知識や応用力という意味で使われます。
小学館から出版されている『日本大百科全書(ニッポニカ)』より、ネットリテラシーについて、抜粋すると、ネット上の情報の正確性を読み取り、情報の取捨選択や適切な対応ができること、電子商取引に正しく対処できること、利用料金や時間に配慮できること、プライバシー保護やセキュリティ対策を講じられること、などをさす。とされている。
小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』より引用
ネットリテラシーとは簡単言えば、インターネットの情報を自分の知識と照らし合わせて情報を読み取る(応用できる)力であると言えると思います。。
では、どうしたらネットリテラシーを高めることができるのでしょうか。以下の2つの方法が筆者のおすすめの方法です。
1つ目:常に”疑ってみる”スタンス。
まず一つ、リテラシーを高めることで有効な手段として思いつくのが、この常に(まずは)”疑ってみる”というスタンスが重要です。
“疑う”と聞くとちょっと抵抗があるかもしれませんが、もう少しかみ砕いていうと「なぜ?(Why?)」この人はこのことを言っているのか。と相手の発言の背景を少し考えることが、ひいては騙されにくくなる方法に繋がります。
常に疑っていては、疲れるのではないかとか相手と信頼関係を築けないのではないかと思う方もいるかもしれませんが、疑ってみるという基本的なスタンスは、大事だといえます。
(別にそのことで友人ができないとかそういった心配をする必要はないと思います。)
もし、最初この考え方が慣れなくて疲れると思ったら、辞めればいいと思います。(そういった考え方があると知れたのとやってみた経験が残るためまったく無駄ではないと思います。)
世の中で”情報”の全体が提示されるケースはほとんどない。
これも意外だと思う方はいるかもしれませんが、世の中で情報の全体が提示されるケースはほとんどありません(滅多にありません)。
常に私たちの前に現れる(提示される)情報はいつだって部分(断片的)です。
そこに”桜の木が植わっている”と言われます。
すると、その桜の木は開花しているのでしょうか。それともまだ開花前のつぼみの状態なのでしょうか。大きさは?太さは?高さは?といった疑問がでてくると思います。
そして実際に、その桜の木を見たとしても、木の根っこの部分は見えません。
ただ、木の根っこは、地上に出ている部分とほぼ同じくらいの大きさである知識があればこのくらいの根が地中にはっていると推測することはできます。
このように部分で提示された情報の姿を知識や経験(部分)を基に全体像を想像して、その人に質問をしたり実際に見て、その都度、情報を修正して全体をつくる。といったことが、リテラシーの能力だと言えます。
文章にするとやや難解にみえますが、それほど大したことを言っているわけではありません。みな自然(無意識のうち)にしています。
ただ、最初のキッカケの「なぜ?」と疑うクセがあると、けっこうこの能力上がります(鍛えることができます)。
比較したり、ソース(情報源)をあたるクセをつける。
比較してみたり、ソース(情報源)をあたってみるクセをつけることが、ネットリテラシーを高めます。
例えば、高級時計の偽物と本物が2つ並べてあった(比較できる状態)でテーブルの上にあったとすると、その2つの違い(差異)が分かると思います。
これは比較することで、違い(差異)の情報を受け取ることができます。(この情報を基にまた考えられます)
また、誰かが言った情報でここがソース(情報源)ですよ~。と言われたときには、そのソース(情報源)をあたってみると良いと思います。
そのソース(情報源)が嘘(事実と異なる)である可能性はありますが、ソースにあたることで、その情報が真実であるのかどうか確認するクセは有効だと思います。
科学は何も証明しない。
これだけ聞くと、突拍子もないよに聞こえますが、科学は何も証明しないのです。
誤解を招きようなので言っておきますが、筆者は科学が無駄と言っているわけではありません。
小学校に行ったことがある人なら、一度は聞いたことがあると思いますが、「水は100℃で沸騰する」というシンプルな定義があります。
ミーコ(6)
そうです。実際に理科室でフラスコで水を沸騰させますが、実は温度計を見ると分かると思いますが、沸騰したときに温度計をみると、100℃はないことが分かると思います。
純粋な水をある条件下(実験室で整える)と水は100℃で沸騰します。(気圧の低い富士山などだと90℃で沸騰します)
この前提が整っているとはじめて定義が成り立つのです。
理科の授業でグラフを描くときに黒い点をグリグリ太く塗って良いと習ったときに、勘のいい人は「…なんかちょっとあやしくね」と違和感を持つと思います。
この力で鎖を引っ張るとちぎれることは、分かっているが、どの結び目からちぎれるのかは、分からない。
ガラスにボールを当てるとガラスが割れる(ひびが入る)のは分からないが、どういった模様のひび割れ(亀裂)が入るのかは分からない。
といったようにです。
「科学は何も証明しない。」という命題は「地図と土地は違う。」という命題と同義なことは(ものすごく)勘のいい方なら気づくかもしれません。どちらの命題もも”客観的経験”は存在しない(客観的データは存在する)という自然史の一般測からきています。
ここらへんが興味がある(つっかかる)方はグレゴリー・ベイトソン『精神と自然-生きた世界の認識論-』(新思索社,2006年)をあたってみるといいと思います。
現在ベイトソンの本は定価以上になっていますので、近くに大きな図書館があればそちらで、大学生の方とかだったら図書館に所蔵されていると思うので、興味がある方はぜひ手に取ってみてください。
<事実>と<感想>もしくは<事実>と<意見>を見分ける。
そのことが<事実>なのかそれとも単なるその人の<感想>や<意見>なのかを見極めることは、情報を扱う(コントロールする)うえで大切なことです。
ネットには、明らかに事実ではないのに、声高らかに主張する人もいます。
ただ、それはその人(個人)の<感想>や<意見>であって、それをそのまま鵜呑みする(もろに影響をうけてしまう)ことは時に、もったいない(危険なときも)あります。
筆者がいいたいのは<感想>や<意見>を言ってはならないということではありません。(そうしたら、おそらくつまらない世界になるであろうし、そもそもそんな権利は誰も持っていないでしょう)
その情報は(何かしら自分に有効性があるのかどか)を見極める際にはこの上記の考え方は役に立つはずです。
2つ目:相手(事象)の背景について考える。
これは、ネットリテラシーの際にも役立ちますが、現実世界でも、なんでこの人はこのような発言をするのだろうか。と考えることは、ときに別の側面が見えてくるときがありあます。
何か言われたときに、どうしてこの人はこんな発言をしたんだろう。と相手の発言の背景について考えるのがおすすめです。
(自分を必要以上に大きく見せたいとか、このことが大切(思い入れ)があるんだとか)
また何か事象(ものごと)が起きた際に、結局誰が一番得をしたのだろうか。と考えるとボーっと過ごしているのと違っていろいろと見えてくるものがあると思います。
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【審美眼を鍛えることができる!?】/審美眼を養う【2つのコツ!】2020年度版 「情報」とは何!?ともし聞かれたら/A.「差異」です。以上がネットリテラシーとネットリテラシーを高める(鍛える)2つの方法についてでした。
何か少しでも参考になる部分があれば幸いです。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。