レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)をこれから読むもしくは購入するか悩んでいる方や面白い絵本があるか探している方向けの記事になります。
『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』はタイトルに”いのち”と入っているようにいのちについて、子どもたちにむけた絵本にも関わらず大人が読んでも考えさせられる絵本の中でも数少ない名著だと思います。
今回はなぜ、レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)が絵本もしくは児童書におすめめな理由についてみていきます。
ミーコ(6)
『葉っぱのフレディ』/絵本(児童書)おすすめな理由
レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)の魅力
「いい本とは何か?」と筆者がもし人に訊かれたとすると、いい本の条件の一つとして、本を読んだ後に考えさせられる(考えることができる)こともしくは、考え方(やものの見方)が本を読む前と後で少し変わったというような経験をさせてくれる本はいい本だといえると思います。(そのような本は思いのほか少ないですが)
『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』はまさに、子ども(あるいは私を含めた大人)に「いのちとは何か」について考えさせられる本です。
ここでいう「いのち」にはいのちの変化の最後の形である「死」についても含まています。「いのち」とはどういうことなのか。
子どもが「考える」キッカケを与えてくれる本だと思います。
以下、『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』の編集者であった田中和雄さんのメッセージの引用です。
この絵本を 自分の力で「考える」ことを始めた子どもたちと 子どもの心をもった大人たちに送ります。わたしたちはどこから来て どこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう 死とは何だろう。人は生きているかぎりこうした問いつづけます。この絵本が 自分の人生を「考える」きっかけになってくれることを祈ります。
この本は アメリカの著名な哲学者 レオ・バスカーリア博士が書いた 生涯でただ一冊の絵本です。(田中和雄)
レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)編集者からのメッセージより抜粋
『葉っぱのフレディ』の対象年齢:0~6歳(もしくは小学校低学年まで)
『葉っぱのフレディ』の対象年齢は0~6歳(もしくは小学校低学年まで)だと言えます。
ただ、上記ですでに見てきたように大人になって読み返して(夜子どもに読み聞かせをしていて)も新たな発見があります。
筆者が『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』に出会ったのは、小学校2年生のとき。
筆者が『葉っぱのフレディ』に出会ったのは、小学校2年生のときです。
父親の転勤を理由に引っ越すことが決まったときに、仲の良かった(今思い返すと特別仲が良かったわけではないのですが)女の子から、当時の友だちの寄せ書きとともに贈り物としていただきました。
女の子と女の子のお母さんのセンスがひとえに良かったのでしょう(ほんとうに感謝しています)。
それまで筆者の家の本棚にはなかった『葉っぱのフレディ』が加わりました。
筆者が出会ったのは、小学校低学年の2年生のときでしたが、『葉っぱのフレディ』はとても好きな絵本でした。
魅力的な文章と物語に、こちらもまた魅力的な挿絵が入っていてとても綺麗な絵本の構成をしています。
ミーコ(6)
当時夢中で絵本のページをめくった記憶があります。
そして、大人になった今あることがキッカケでまた本棚から取り出しましたが、改めて大人になって読んでみても、新たな発見に満ちている(いのちってこういうことなのかもなと思わされるもしくは感慨深い)名著です。
興味がある方はぜひ手に取ってみてください。(コチラ↓はリンクになります)
以下、簡単にですが『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』の内容に軽く触れてみていきます。(少しでもネタバレが嫌な方はここでブラウザバックするかもしくは、最後にレオ・バスカーリア博士からの言葉があるのでそちらまで画面をスクロールすることをおすめめします)
『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』軽く内容に触れながら考察
「春が過ぎて 夏が来ました。」
この一文とともにストーリーがはじまります。
一通り1度読み終わっている方(もしくはすでに読んだことがある方)はこの一文ですら、考えさせるられるものがあると思います。
葉っぱのフレディとあるように、主人公は一つの葉っぱのフレディが主人公になります。
フレディはたくさんの仲間たちとともに、1つの大きな木の葉っぱとして生まれます。
仲間たちと一緒に公園に来た人たちに木陰をつくってあげたり仕事をします。
やがて、楽しい夏は駆け足で過ぎていきます。十月になると霜がきました。
「もうすぐ冬になるのだ」とフレディの親友の物知りなダニエルが言いました。
フレディたちは、一気にみんな色鮮やかな色に紅葉していきました。
なんて見事な紅葉なのでしょう。フレディはみんないっしょに生まれて、同じ木の同じ枝にいるのに、みんな違った色に紅葉したことに疑問を持ちます。
それについて、また物知りのダニエルが教えてくれます。
さて、…続きも気になるかもしれませんが、一旦ここまでにしておきましょう。(笑)
続きはぜひ、レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)を実際に手に取ってみてください。
考えることを辞めない。
「考えることを、辞めない」は、私の好きな言葉ですが、考えることを辞めてしまったら人生はなんともったいないのでしょう。
人は不思議な生き物です。
言葉で意志や思いを相手に伝えることができます。
言葉によって、自分のした経験や思いを少しだとしても伝えることができます。
そして、筆者は考えることを辞めないことが、人生を少しだけ豊かにすることの要素の一つな気がしています。
もちろん、ときに考え過ぎはよくない側面もありますが、困難な状況にぶつかったときに、考えることは辞めないことは重要です。考えることを辞めないと、ふと別のうまくいく道をみつけられることもあります。(筆者はお世話になった師匠(せんせい)がこんなときならどう考えるだろうか。と考えたりすると、自然とうまくいくときがあります。)
そんな「考える」キッカケを小さい(幼い)頃つくってくれる本として、『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』は位置付けられるでしょう。
まとめ
以上、レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)の魅力についてこれまでみてきましたが、レオ・バスカーリア氏の言葉をもってまとめとさせていただきます。
この絵本を
死別の悲しみに直面した子どもたちと 死について適確な説明ができない大人たち 死と無縁のように青春を謳歌している若者たち そして編集者バーバラ・スラックへ 贈ります。
ぼくは一本の木であり バーバラはこの十年間かけがえのない葉っぱでした。
レオ・バスカーリア著『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』(1998年,童話屋,みらい なな訳)作者からのメッセージより抜粋
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。