記譜法(ノーテーション)に関する記事になります。
なぜ、音楽は、楽譜という記譜のされ方(記譜法)をとられ、ダンスは記譜されないのでしょうか。
記譜法(ノーテーション)
今回の記事は、ネルソン・グッドマン著『芸術の言語』(2017年,慶応義塾大学出版会)を読んで、筆者の考えと合わせて紹介していきます。
この記事を読んで気になった方は、ぜひ手に取ってみてください。
著書の中では、さらに詳しく記譜法(ノーテーション)や、記譜することで、さらにその芸術がどのような種類の芸術であるか理解が深まると思います。
音楽は記譜できるのか。ダンスはどうだろうか。スケートボードは記譜できるだろうか。建築はたまた都市は記譜できるだろうか。と記譜法(ノーテーション)を試みたり、そもそも記譜できるのかについて考えるのは、面白いことだと思います。
ひとまず、ここでは記譜法(ノーテーション)されてる音楽の楽譜からみていきます。
記譜法(ノーテーション)の一番身近で分かりやすい例が、音楽を演奏される際に、用いられる楽譜です。(楽譜は、記譜されているもののなかでかなり優秀な部類に入ります。)
楽譜を読めんで、その意味を理解することができれば、何百年前に書かれた演奏を再現することができます。
そして、記譜法で重要なのは、その楽譜のコピーがもともとのオリジナルの楽譜のものと異なっていないことの必要があります。
音楽に贋作はない。
同じ芸術でも絵画には贋作がありますが、音楽には贋作がないです。
芸術に関する用語として、ある芸術作品について、そのオリジナルとその贋作の区別が重要であるとき、その作品をオートグラフィック(autographic)であると呼びます。
絵画はオートグラフィックであるのに、対して音楽はオートグラフィックではない(非オートグラフィック)つまりアログラフィック(allgraphic)なのです。
このことに実は、記譜法(ノーテーション)が関わってくることになります。
音楽の楽譜は、記譜されたものを演奏することになります。
楽譜はコピーだとしても正しく記譜(ノーテーション)されているのであれば、それはオリジナルの演奏になります。
しかし、絵画はオリジナルの作品に対して、それを写したものは贋作になってしまいます(その模写や贋作にも種類があって、あるアーティストの新しい作品としての贋作が実に精微につくられていて美しかったとしても)。
絵画は一段階芸術であるのに対し、音楽は二段階芸術である。
実は、音楽には演奏するという行為があるのも関係しています。(楽譜があって演奏するという二段階(二次的)の行為が行われています。)ここらへんも気になった方はぜひネルソン・グッドマン『芸術の言語』(2017年,慶応義塾大学出版会)を読んでみてください。
(ある演奏家の演奏であるといって偽る形の演奏の贋作は存在したりします。)そこらへんのせめぎ合いや理論の構築は『芸術の言語』を読んでいてとても面白い部分になります。
楽譜が先か。音楽が先か。
これも、おもしろい問いです。
たまに、楽譜の権威を高めるためなのか分かりませんが、楽譜が先にあってこそだ。という意見があるようですが、答えは音楽が先だということは、以下の例を考えるとすぐ分かると思います。
タイプライターの登場を待つ前に、すでに言語が存在していたように。
といったように音楽があって、それを記譜するにはどうしたらいいのか(この音は高いのか低いのか表すために1つの点に対し横線がはじめに引かれたとされています。)
そして、音楽は演奏する人たちに伝えるために楽譜が記譜されていて、オーケストラなどで演奏されるのです。
ダンスには記譜法がないのはなぜ
理由は幾つか考えられますが、基本的にはバレエなどのダンスは、一人一人で表現が完結しているため、ある表現を記譜して意思疎通する必要がないためというのが一つの理由として考えられます。
またそもそも記譜することができるのか。そして記譜するとしたらどのような方法で記譜することができるのかというのは、ひとまず置いておきましょう。
高校のダンス部の指導などをみても分かるように、基本的に記譜されたものを見て踊ることはせず、自分たちが踊っている様子を先生(指導者)が見て、それを修正していくのが一般的なダンスの練習だと思います。
そして、身体で表現するとなるのが一つダンスの特徴であり、現代ダンスの表現などは解釈もさまざまなものになってしまいます。
以上が、記譜法(ノーテーション)に焦点を当てて、音楽が記譜できてダンスがなぜ記譜できないかについての記事でした。
今回紹介した内容をネルソン・グッドマンはもっと理論的にかつ整合性をとって議論をすすめていきます。気になる方は本を実際に読んでみるといいと思います。
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最後まで読んでくださった方ありがとうございました。