【天才=孤独】ではない2つの理由/ある条件のもとの孤独

あなたは天才は孤独である(孤独な環境下で過ごした時期がある)という話を聞いたことはないでしょうか。

この話を聞いたときに、天才である条件の一つに孤独が含まれているかのような錯覚が生まれるかもしれませんが、天才=孤独ではないということを今回は記事にしていきたいと思います。

自ら「孤独はいいものだ」と自称する人を見ると、孤独を謳うことによって、自分は人とは違うんだというアピールをしていて、この人は何か物事を間違って解釈している可能性があるのではないだろうか。と疑ってしまうときがあります。

ま、筆者に特に関係のないときには、そういう人もいるよなぁと思うだけですが(笑)

今回は天才=孤独ではないという理由と、少し深堀して孤独は使い方によってはパワーを発揮することがあることについて解説していきます。

天才=孤独ではない

まずこの話の前提で天才とはなんぞや。と天才の定義の話についてすると、とても長くなってしまうので割愛します。

天才と聞いて、あなたが思い描く人は誰でしょうか。歴史上の人物で当てはまる人をあげろと言われたら。それだけで記事が書けると思います。

今回は天才=孤独ではないといことに焦点を当てて話を進めていきましょう。

1つ目:天才は孤独になりたいわけでない

一つ目の俗に天才と称される人々は、孤独になりたくて孤独になるわけではないということです。

成果を上げていくことで結果的に孤独になっていまう。

または、自分の作業する時間を確保したいために結果的に孤独になってしまう。

といったようにおれは孤独になるんだぞー!といったような行動や発言はしないと思います。孤独が目的ではなく結果的に孤独にんってしまうといったところがポイントだと思います。

2つ目:天才にも心許せる存在が少なくとも1人はいた。

これは、もしかしたら推測の域をでない話かもしれませんが、おそらく天才と称される人物にも心許せる存在が少なくとも1人はいたと思います。

なぜなら、人はかなり弱くそして脆いとも言ってしまってもよい生物だと思います。これは、天才も例外ではないと思います。

心許せる存在が家族あるいは友人それともペットだったかは人それぞれだと、思いますが、成果を残していく過程で見つけた心許せる存在(かげがのないもの)は、その人のモチベーションに繋がると筆者は強く思います。

意外と人から受ける影響や刺激はその人自身が気づかないレベルでも作用したりします。

しかし、人は使える時間が有限です。時には、孤独な環境をつくる(身を置く)ことで使える時間が増えるのは事実です。

時間の作り方は以下の記事で書いています。

孤独は作業がはかどるのは事実

時には孤独になった方が作業がはかどるのも事実です。

一人のときに多くの人は集中して作業ができると思います。

また作業をするときはだいたい人は一人であり、結果を出すのは自分自身であるためそれは人から見ると時に孤独に見えるかもしれません。

孤独は使いようによっては強い力になります。

それだけに使い方には気をつけたいところです。

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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