物事に【絶対はない】/しかし【絶対が存在する】する理由

生きていたら一度くらいは使ったことがある言葉に「絶対」という言葉があると思います。

理由は後述しますが、私は絶対という言葉をやたらめったらと口癖のように使う人はあまり好きにはなれません。(決して使うなというわけではありません。現に私も絶対という言葉を使ったことはあります。)

しかし、絶対という言葉は極力使わないように努力しています。

RADWIMPSさんの『374587』の歌詞の中に「絶対ないなんて絶対ないってそれってもうすでに絶対ですいったいぜんたいどしたんだい。何が何だかもわからない」という歌詞があります。

また、井上雄彦さんが作者の漫画『スラムダンク』の安西監督が山王戦の前に「彼らとて高校生。勝負に絶対はないのだから」とキラーンと眼鏡(もしくは眼光)を光らせるシーンがあります。

今回はこの「絶対」という言葉について見ていきたいと思います。

物事に絶対はない

まず、物事に絶対はありません。

私が絶対という言葉を使うのに慎重な主な理由の一つとして、この物事に絶対はないということがあります。

なので、物事に対して絶対をつけると、それは嘘を言っていることに等しいので私は、絶対を連呼する人をあまり信用しなません。(絶対という言葉の裏にあるその人なりの思惑があるからです。)

この世の事象に絶対はおそらく存在しないのではないかと思います。

冒頭のRADWIMPSの歌詞ではないですけど(笑)

(ただ、ある条件下の事実を絶対と捉えている人が多いのは事実です。)たとえば、水を沸騰させるために火を継続的に与え続けたら絶対(必ず)沸騰するといったように。

ただ、話を戻しますと、ある条件下という前提を用いない場合(これも条件付けと捉えられそうですが、フラットな状態で見ると)永遠に見える太陽だっていつか寿命が来ます。(現に星だって消えています。)

どんな預言者だって絶対に明日が来ると言い切れないはずです。(何かしらの理由で明日は来ないかもしれないからです。それがたとえ量子的な確率だとしても。)

人の心(思い)の中には、絶対は存在する

これもまた事実なのです。

例えば、「私は絶対にあなたのことが好き」と言われた際のこの「絶対」は真実(存在する)と言えます。

反対に「私は絶対にあなたを裏切らない」と言う際の「絶対」は未来の自分(事象)にかかってしまっているので、この絶対はあやしい(なるかもしれないし、ならないかもしれない)という使い方になります。

このように、人の思考だったり(思い)のなかには絶対は存在します。

それは時に傍からみると、盲目的人に見えるかもしれませんが、その人のなかで「絶対」というのは確かに存在するはずです。

そもそも、この絶対という言葉が(嬉しいや悲しいなどといった何かを表現する際に)必要とされているから、現代に絶対という言葉があるはずなので、絶対はどこかには存在するのです。(それは今回の記事で指摘できていない部分かもしれませんが)

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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